今回は、あの天才発明家ニコラ・テスラの「死因」について取り上げます。
一般的には「冠動脈血栓症」で亡くなったとされていますが、実はそうではなかった——。
テスラはナチスの特殊部隊によって暗殺され、その膨大な研究資料の多くがナチスの手に渡ったという説が存在します。
押収された資料の中には、重力を制御する「グラビティ・モーター」を搭載した円盤型航空機、いわゆるUFOの設計図も含まれていたと言われています。
その後、ナチスが実際に「ヴリル」や「ハウニブー」と呼ばれる同型の飛行体を完成させていたことからも、この説には一定の説得力があるのです。

米空軍の監視下に置かれていたテスラ

オーストリア帝国(現在のクロアチア)出身の移民としてアメリカへ渡ったテスラは、後にアメリカ国籍を取得し、真のアメリカ市民となりました。
そして彼は、生涯を通じて強い愛国心を抱き、第二次世界大戦中には、平和の回復を最終的な目的としつつも、アメリカを勝利へ導くために数々の兵器の構想を練っていたとされています。
彼の頭の中には、当時の常識では到底考えられないような未来的な発想が溢れており、その一部は現在でもなお、極秘扱いのまま封印されているとも言われています。

中でも特に注目すべき発明が、テスラが「デス・レイ(Death Ray)」と呼んだ兵器でした。
その名の通り“死の光線”とも言えるこの兵器は、遠く離れたおよそ360キロ先を飛行する敵機に向けて、高エネルギーのプラズマビームを照射し、一瞬にして無力化するという、まさに空想科学の世界のような代物だったのです。
この超兵器の構想には、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトや副大統領も大きな関心を寄せていたとされ、テスラの研究は軍部や政府関係者の間でも極秘裏に共有されていたといいます。

テスラはこの「デス・レイ」以外にも、雷のエネルギーを利用して敵機を撃墜するという「テレフォース(Teleforce)」システムを軍部に提案するなど、次々と常識を超えた兵器構想を打ち出していきました。
その発想力と技術的先進性は、軍の関心を大いに惹きつけたと同時に、逆に政府機関の警戒をも呼び込むことになります。
やがてテスラは、米空軍や諜報機関の監視下に置かれるようになり、彼の行動や通信は密かに記録されるようになっていったといいます。
アメリカ参謀本部の特務機関OSSに自身の発明をプレゼンする約束を取り付ける
テスラが亡くなる前年、1942年の年末のこと。
彼はアメリカ陸軍参謀本部の特務機関であるOSS(戦略事務局)に自ら電話をかけ、自身の発明についてプレゼンテーションを行う機会を正式に取り付けたとされています。
ナチスを打倒し、世界に平和をもたらすためには、自分の技術が必ず役立つ——そう確信していたテスラは、晩年になっても軍部への提案の道を模索し続けていました。
OSSとの接触は、その実現に向けた大きな一歩となるはずだったのです。
※OSSとは?
Office of Strategic Servicesは、第二次世界大戦中の情報機関・特務機関であり、
アメリカ統合参謀本部の部局として戦線の敵側における
当時、テスラがOSSに提示しようとしていた発明リストには、「デス・レイ」をはじめとして、常軌を逸したほど革新的な技術が並んでいました。
たとえば、重力を制御する「グラヴィティ・モーター」を搭載した円盤型航空機、レーダー波を無力化する三角翼型のステルス機、さらには地殻を震動させて地震を引き起こす「地震発生装置」まで。
どれも当時の科学水準をはるかに超えたものであり、現代においてさえ“最新鋭”と呼ばれるにふさわしいテクノロジーばかりでした。
1943年1月6日プレゼン当日
1943年1月6日、ニューヨークのホテル「ニューヨーカー」の一室にて──。
OSS(戦略事務局)の将校2名が、事前の約束通りテスラの元を訪れ、密室での極秘ミーティングが行われました。
1時間以上に及ぶ面談の中で、テスラは自らの発明品ひとつひとつについて熱心に語り、詳細な説明を加えていったとされます。
特に彼が力を込めて語ったのが、重力を制御する円盤型航空機の構想でした。
それは単に空を飛ぶだけではなく、視覚から完全に消える「不可視化」機能を持ち、火星への到達すら可能であり、さらには「時間を超える移動=時間旅行」も実現できるという、まさに次元を超えた発明だったのです。

このとき、テスラはもしかすると、長年の孤独と苦悩の果てに、自らの才能が国家と人類のために役立つ──そんな栄光に満ちた晩年を思い描いていたのかもしれません。
しかし、現実はあまりにも非情なものでした。
プレゼンの末に彼が託した発明資料を手にした2人の男は、突如として態度を豹変。突き飛ばすように彼を羽交い締めにし、その口元に枕を押し当てたのです。
もがくうちに、偉大な発明家の心臓は静かに鼓動を止め──テスラの最後の希望は、音もなく闇に消えていきました。
さらに驚くべきことに、テスラが電話で連絡を取った「OSSの担当者」と思われていた相手こそ、実はOSS内部に潜伏していたナチスの協力者だったというのです。
その日、テスラのもとに現れた2人の正体は、ナチス親衛隊の精鋭であり数々の秘密工作を手がけた「オットー・スコルツェニー」、そして後のCIAとも関わることになる情報将校「ラインハルト・ゲーレン」だったと伝えられています。

一般には、テスラの死後すぐにFBIがホテルの部屋に踏み込み、彼の発明に関する設計図や特許書類を回収した──とされています。
だが実際には、それらの資料の大半はすでにテスラの死の直後に、オットー・スコルツェニーらによって持ち去られ、ドイツへと運ばれたというのです。
貴重なテスラの遺産は、ナチスの最高権力者アドルフ・ヒトラーの手に直接渡されたとされ、その後の第三帝国の“秘密兵器開発”の礎となったという説もあります。
戦後、スコルツェニーは一時連合軍に拘束されるものの、なぜか逃亡に成功し、その後は中東へと活動の舞台を移します。
彼はエジプトの軍事顧問として勤務し、さらに驚くべきことに、イスラエルの諜報機関モサドとも接点を持ち、二重スパイとして活動していた記録も残されています。
そして晩年、彼はごく限られた証言の中で、かつて自分が関与した“あの夜”──ニコラ・テスラ暗殺の真相を、自らの口で明かしたのです。
時系列的には明らかな矛盾がある
とはいえ、確かにナチスが実際に「ヴリル」や「ハウニブー」といった円盤型航空機を完成させていたという事実がある以上、スコルツェニーらによる“テスラ暗殺説”にも一定の信憑性があるように思えるかもしれません。

しかし一方で、テスラが亡くなったのは1943年初頭であり、その直後にナチスがすでにUFO型航空機を飛ばしていたとすれば、時系列的には明らかな矛盾が生じます。つまり、ナチスはテスラの死よりもかなり前から、独自に円盤型機の開発を進めていたことになります。
その点を踏まえると、「テスラの技術を奪ったからナチスがUFOを完成させた」という説を、そのまま事実とするにはやや無理があると、個人的には感じています。
ではナチスの円盤技術の出所はどこか?
ナチス・ドイツが開発していたとされる円盤型航空機──通称「ナチスUFO」。その実在を裏付ける写真や設計図が戦後に流出したことで、多くの研究者や陰謀論者たちの関心を集めてきました。だが、最大の謎は「その技術はどこから来たのか?」という点に尽きます。
いくつかの有力な説が存在します。
1. ヴリル協会とオカルト起源説
最も有名なのが、神秘思想と交霊術を通じて宇宙存在とコンタクトを図っていたとされる「ヴリル協会(Vril-Gesellschaft)」の関与です。彼らはチャネリングによって、アルデバラン星系の高次存在から“反重力推進技術”の情報を得たと主張しており、それが円盤型航空機の設計に反映されたとされます。
この説では、ナチスの一部上層部──特にヒムラーやハウスホーファーらがオカルトに強く傾倒していたことが根拠とされ、テスラ由来の技術ではなく、“異次元由来の知識”として説明されることが多いです。
2. トンプソン=シューマン理論とドイツ工学説
より現実的な説としては、ドイツの科学者ヴィクトル・シャウベルガーやヴェルナー・フォン・ブラウンらが中心となって開発していた推進理論に基づいた「渦流エネルギー」や「電磁反重力装置」が挙げられます。
彼らは、従来の航空力学にとらわれず、自然界の螺旋構造や水流・磁力の回転運動を活用することで、従来の推進機構とは異なる新型飛行体を試作していたとされています。
この説では、ナチスUFOは超科学の産物ではなく、極めて先鋭的なドイツ工学の結晶であったという位置づけです。
3. 異星人テクノロジー接触説
さらに一部では、ナチスが墜落した異星人の宇宙船(もしくは遺物)を回収し、そのリバースエンジニアリングによってUFO型航空機の開発が進められたという説もあります。
これは戦後アメリカの「ロズウェル事件」や「エリア51」の噂と密接に関係しており、「アメリカより先にナチスが異星人と接触していた」という主張すら存在します。
この説によれば、円盤型航空機は地球製ではあっても、その核心技術は地球外起源であるという大胆な見解が提示されています。
4. テスラ技術流用説(補強的立場)
前述のように、テスラの技術がナチスに渡っていたという説もありますが、これは単独の源泉というより、既存のナチス開発を補完する“加速剤”であった可能性が高いとも言われます。
つまり、ナチスはすでに自力で円盤型航空機の研究を進めており、そこにテスラの重力理論やエネルギー伝送技術が一部組み込まれたのではないか──という補強的な視点です。
いずれの説も決定的な証拠には欠けていますが、ナチスが極秘裏に異常な先端技術に取り組んでいたのは歴史的事実であり、円盤型航空機の存在がまったくの虚構とは言い切れません。
そして何より興味深いのは──それらの技術の一部が、戦後、アメリカやソ連の宇宙開発、軍事研究に静かに吸収されていったという点です。
まとめ
公的な記録によれば、テスラの死後、彼が残した膨大な数トンにも及ぶ発明品や設計図の数々は、アメリカ軍およびFBIによって速やかに押収されたとされています。
しかし一部の報道や証言では、それらの資料の一部は極秘裏にユーゴスラビアを経由し、ソビエト連邦にも流出したとされるなど、その行方にはいまだ不透明な部分が多く残されています。
一方で、FBIが正式に押収・解析した資料については、後に複製されたうえでテスラの母国セルビア(当時はユーゴスラビア)に返還され、現在は首都ベオグラードにある「ニコラ・テスラ博物館」にて保管・展示されています。
この博物館に所蔵されたテスラの記録群は、その歴史的・科学的価値が認められ、2003年にはユネスコの「世界記憶遺産(Memory of the World)」にも登録されることとなりました。
おまけ:UFO・フリーエネルギー・タイムマシンとの関係は?
ニコラ・テスラが遺した数々の未完成発明は、単なる「技術の断片」ではなく、現在もなお多くの陰謀論や極秘プロジェクトの中核に据えられてきました。
中でも注目されるのが、テスラの設計図に記されていたとされる“円盤型航空機”──これは一部で「ナチスUFOの原型」や、戦後アメリカが開発したステルス技術、さらにはエリア51に関係する飛行物体の起源と目されています。
また、彼の“フリーエネルギー”理論も長年封印され続けてきたテーマです。電力を無線で世界中に無料配信するという構想は、もし実現すれば石油利権を根底から破壊するものであり、いわば「最も危険な発明」として潰されたとも言われています。
さらに一部の証言では、テスラは「空間と時間の構造」に関心を寄せ、時間移動を可能にする技術=“タイムマシン”の理論にも到達していたとさえ語られています。
米海軍の「フィラデルフィア実験」や、後に語られる「モントーク・プロジェクト」には、テスラの理論が基盤として組み込まれていたという説も存在しており、それが事実であれば、彼の研究は単なる未来予想図ではなく、すでに“現実”として軍事転用されていた可能性すらあるのです。
おまけ:テスラ、ヒトラーと密会♡
この密会については、1930年代後半、バイエルン・アルプスの人里離れた山奥にある秘密の地下壕で、ニコラ・テスラとアドルフ・ヒトラーが極秘に対面したという説が存在します。
当時、常に戦争に転用可能な最先端技術を追い求めていたヒトラーは、テスラの名声とともに広まっていた「デス・レイ(死の光線)」や「無線によるエネルギー伝送(フリーエネルギー)」の噂に強く惹かれていたのです。
会談の場で、テスラは「死の光線」の試作装置を持ち込み、小さな物体を瞬時に分解するデモンストレーションを実演したといわれています。その光景を目の当たりにしたヒトラーは、驚愕とともに戦慄を覚えたとされ、この兵器の潜在能力に執着するようになります。
そこで2人の間には、ある“密約”が交わされました。
ナチスは、テスラに対して莫大な研究資金と必要な資源を惜しみなく提供する代わりに、テスラは自身の技術の一部をナチスに提供することに同意したというのです。
しかし、のちにテスラは、自らの発明がもし悪の手で使われれば、人類に計り知れない破壊をもたらすことを深く自覚するようになります。
その結果、彼はナチスに渡した設計図の中に、意図的な誤情報や欠陥構造を仕込み、彼らがその技術を完全に再現できないよう、密かに妨害を施したといわれています。
おまけ:テスラと量子重力理論──100年先を行っていた思考
ニコラ・テスラの発明と理論の中には、当時の科学者たちからは理解されず、むしろ“奇人の妄想”として片付けられてしまったものが少なくありません。しかし現代において、量子物理学や宇宙論の進展により、かつての彼の発言や理論が再び脚光を浴び始めています。
その最たる例が「量子重力」との関連です。
空間・時間・重力を“媒質”とみなす発想
テスラは当時すでに、空間やエネルギーは“無”ではなく、見えない媒質が充満しており、そこからあらゆるエネルギーを取り出すことができると考えていました。彼が「エーテル」と呼んだこの媒質の存在は、アインシュタインの一般相対性理論によって否定されたように見えましたが、近年の量子重力理論では“量子真空”や“時空の泡構造”といった形で、その存在が再検討されつつあります。
つまり、テスラは時空を「物理的に操作可能な場」として捉えていた点で、量子重力理論が取り組む課題の本質に、100年以上前からアプローチしていたとも言えるのです。
フリーエネルギーとゼロ点エネルギーの類似性
テスラが晩年に追い求めていた“フリーエネルギー”とは、無限の宇宙空間に充満する力を抽出し、電力として利用するというものでした。
これは現代物理学における「ゼロ点エネルギー(Zero-Point Energy)」という概念と非常に類似しています。ゼロ点エネルギーとは、絶対零度でも残留する量子的揺らぎであり、理論上は莫大なエネルギーを内包しています。現在でも一部の科学者や研究機関が、これを利用する技術開発に取り組んでいますが、その萌芽をすでにテスラは見抜いていた可能性があります。
重力制御と反重力理論への先駆け
さらに、テスラは「重力を電磁場で制御できる」と考えていた節があります。
彼の円盤型航空機の構想には、“重力から解放された飛行”という表現があり、これは現代でいう反重力装置や重力波制御と極めて近い思想です。重力を量子レベルで説明しようとする現代の研究──たとえば「弦理論」や「ループ量子重力」など──は、まさにテスラが語っていた“空間の構造”を扱っていると言えるでしょう。
テスラのノートと未公開資料
興味深いのは、テスラの死後にFBIが押収した膨大な書類の中には、これらの理論の断片や、数式、装置の設計図が多数含まれていたという点です。これらの資料は長らく未公開のままであり、一部は「トップシークレット」として分類されたままだと言われています。
もしそれらが現代の量子物理学と照合されれば──テスラの発想が単なる空想ではなく、未来の科学理論を先取りしていたことが、改めて証明される可能性もあるのです。
テスラは“量子重力理論”を直感で理解していたのか?
テスラ自身は「私にとって宇宙は、音・振動・周波数の交錯だ」と語っています。
この言葉は、あらゆる物理現象を波として扱う現代の量子力学的視点と見事に一致しており、彼が論理ではなく“直感と感覚”で、自然界の根源的な構造を理解していた可能性を示唆しています。
科学はまだ、彼に追いついていないのかもしれません──。