P2ロッジ・P3ロッジフリーメイソンとは?バチカン・サヴォイア家・オルシーニ家との関係は?【黒い貴族】

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P2ロッジフリーメイソンとは?

歴史の暗部に目を向けるとき、避けて通れない存在がある。「P2ロッジ」。1970年代から80年代にかけて、イタリアを深く揺るがした秘密結社だ。

表向きにはフリーメーソンの一支部として登録されていたこの組織は、実態としては政界・軍・メディア・経済界の有力者たちが結びつく、非公式かつ強固な影響力ネットワークだった。

P2ロッジ中心人物「リーチオ・ジェッリ」

画像引用 Wikipedia

組織の中心にいたのが、リーチオ・ジェッリ。第二次世界大戦中はファシスト体制の下で活動し、戦後も反共主義者として行動を続けた。彼の指導のもとでP2ロッジは、慈善活動や精神的探求といったフリーメーソンの本来の理念を捨て、国家権力の裏側で動く“影の中枢”として活動するようになる。

P2の名が世間に広く知られるようになったのは、1981年。イタリア警察がジェッリの邸宅を家宅捜索し、約1,000人にのぼる会員リストを押収したことで、事態は一気に表面化した。そこには、当時の首相候補、情報機関幹部、大手メディアの重役、銀行家などの名前が含まれていた。

P2は金融スキャンダルとも深く関係している。とくに注目されたのが、バンコ・アンブロシアーノ事件だ。P2の関係者であり銀行頭取であったロベルト・カルヴィは、不正融資と資金洗浄に関与し、バチカン銀行との関係も取り沙汰された。1982年、カルヴィはロンドンで不審死を遂げ、その死は自殺ではなく他殺と見なされている。この事件は、P2の金融操作と組織の闇を象徴するものとして記憶されている。

また、P2が関与したと疑われているもう一つの重大事件が、アルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件である。1978年、モーロは極左テロ組織「赤い旅団」によって誘拐され、55日後に遺体で発見された。当時の政権や治安機関の対応には不可解な点が多く、P2との関係を指摘する報道も相次いだ。モーロが進めていたキリスト教民主党と共産党の「歴史的妥協」によって、P2の掲げる反共体制が揺らぐことを危惧していた可能性がある。

P2の目的は「国家を守る」ことだったとされるが、その実態は法や民主主義の原則を軽視し、秘密裏に権力を行使する構造そのものだった。

イタリアにおいて、P2ロッジは単なる過去の陰謀ではなく、「見えざる権力」がどのようにして国家の根幹に入り込み得るかを示す、警鐘の象徴となっている。

P2ロッジの行った罪

P2ロッジ(Propaganda Due)は、イタリアの政財界に深く食い込んだ秘密結社であり、その活動には政治的暗殺、金融詐欺、資金洗浄(マネーロンダリング)、そして国家への反逆といった重大な犯罪が関与していたとされている。

権力掌握のための犯罪行為

P2の主要な目的は、国家の政策や意思決定に影響を与え、自らの政治的・経済的利益を最大化することにあった。その過程で行われたとされる行為は以下の通りである。

  • 政治的暗殺:自らのアジェンダを進めるため、要職に就く政治家を標的とした暗殺が行われたとされている。これにより政府内部に恐怖と混乱を生じさせ、権力の再編を狙った。
  • 金融詐欺と不正取引:組織運営の資金調達には不正な金融手段が用いられた。バンコ・アンブロシアーノ事件はその代表例であり、P2関係者が関与した大規模な不正融資と資金流用が明るみに出た。
  • マネーロンダリング:犯罪行為から得た資金の出所を隠すため、複雑なマネーロンダリング・スキームが利用された。
  • 国家反逆:政府の政策や制度に密かに干渉し、民主的な統治機構を内部から揺るがす行為も行われていた。これは国家に対する裏切り行為と見なされている。

これらの活動は、すべてP2がその影響力を維持・拡大し、イタリア社会を自身の理想へと近づけるための手段だったとされている。

情報操作と国家の再構築

P2は権力を手中に収めるため、機密情報の収集にも力を入れていた。標的は政治家、軍関係者、財界人などで、これらの情報は脅迫や取引材料として使われたとされている。

さらに、彼らは経済界やメディアへの介入を通じて世論操作を図った。企業の買収や提携を通じて経済力を蓄え、同時に報道機関に対して圧力をかけ、自らの思想や価値観を広めようとした。

このような活動はすべて、民主的な手続きを経ずに、国家の方向性そのものを“影の手”で握ろうとする試みだった。

社会を震撼させた暴露

1981年、警察による捜査でジェッリの所有する文書が押収され、P2の会員名簿とその実態が明るみに出た。そこには政界、軍、メディア、財界に及ぶ広範な人脈が記されており、イタリア社会はその衝撃に揺れた。

これに先立つ1976年、イタリアのグランド・オリエント(正規フリーメーソン組織)は、P2の活動がメイソンの理念に反するとして、ロッジとしての承認を取り消していた。しかし、その後もP2は“非公式な秘密結社”として活動を継続していたと見られている。

P2の主な人物

画像引用 Wikipedia

P2ロッジに関わったキープレイヤーは、シーンの裏で糸を引いていた人物である。

  1. リーチオ・ジェッリ – 彼こそがP2ロッジの黒幕。彼の巧妙な計画と策略が、ロッジを影の力として確立。実業家であり投資家。
  2. シルビオ・ベルルスコーニ – メディア帝国を築いた男。彼はP2ロッジの一員として活動しており、その後イタリアの首相となる。
  3. ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア – 彼はイタリアの元王子。彼もまた、この秘密のネットワークの一部だったと言われている。
  4. ミケーレ・シンドーナ – 彼は弁護士であり金融界の巨人で、P2ロッジの一員。彼は大規模な金融詐欺で告発されたが、その一方で彼の影響力はP2ロッジにとって貴重であった。
  5. ロベルト・カルヴィ:アンブロシアーノ銀行の頭取で、シンドーナとの関係が深い
  6. アントニオ・マルティーノ:ベルルスコーニ政権下で2001年から2006年まで国防大臣を務めた。
  7. ピエルト・ムスメキ:イタリア軍安全情報局(SISMI)のナンバー2であったが、ボローニャ駅爆破テロ事件の容疑者としてジェッリとともに逮捕された。
  8. アンジェロ・リッツオーリ:イタリアの大手新聞社「コリエーレ・デラ・セラ」のオーナーで映画製作者。
  9. ミーノ・ペコレッリ:ジャーナリスト。極左テロ組織の「赤い旅団」によるアルド・モーロ元首相殺害事件へのジュリオ・アンドレオッティ首相による関与を暴く記事を執筆した後の1979年3月に暗殺された。後にアンドレオッティが起訴され有罪となったがその後逆転無罪となった。

参考:Wikipediaより

P2からP3ロッジへ~現在のサヴォイア家、オルシーニ家、バチカンの関係~

P3ロッジ――謎に包まれた現代の影のネットワーク

「P3ロッジ」という名前は近年、一部のジャーナリストや陰謀論者の間でささやかれ始めた。しかし、その実態はほとんど明らかにされておらず、存在自体が公的には確認されていない“非公式な組織”である。

報道や専門家の間では、P3は経済、政治、そして社会全般にわたり、見えない影響力を及ぼしていると指摘されている。もし実在するのであれば、それはかつてのP2ロッジに匹敵、あるいはそれ以上の規模と影響力を持つ可能性がある。

影で動く存在――表に出ない力の構造

P3の活動は、仮に存在しているとしても、徹底して秘匿されている。表立った声明や組織の構成員が公表されたことは一切なく、活動の痕跡も断片的な情報にとどまっている。

そのため、多くの人々はこの組織の存在すら知らず、気づかぬうちにその影響を受けているのではないか。そんな見方もある。政治的決定や経済の潮流の背後で、P3が“見えざる手”として関与している可能性が指摘されているのだ。

サヴォイア家との関連性は?

かつてイタリア王室だったサヴォイア家とP3ロッジの直接的な関係を示す証拠は現時点で存在しない。しかし、歴史を振り返れば、先代の関係者の一部がP2ロッジと接点を持っていたことは知られている。

この文脈から、現在のサヴォイア家とP3との間に何らかの接点がある可能性を完全には否定できない。とくに、2010年代にメディアタレントとして脚光を浴びたエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア王子の動向は、一部メディアで注目された。

彼は「歌って踊れる王子様」としてテレビ番組に出演し、王族としては異例のメディア進出を果たした。こうした動きが単なる個人的キャリア選択なのか、それともより大きな戦略の一環だったのかは、今なお議論の余地がある。

画像引用 wikipedia

組織の実態は未解明のまま

P3ロッジに関する情報は断片的で、確かな証拠を伴う報道はきわめて少ない。そのため、現時点ではあくまで“仮説の域”を出ないが、かつてP2が実在していたという歴史的事実を踏まえれば、P3という存在もまた、何らかの形で現代社会に影響を与えている可能性は否定できない。

このような不可視の組織について問うことは、民主主義と情報公開の本質を考えるうえでも、重要な問題提起となっている。

P2からP3への系譜――“影の継承”はあったのか?

P2ロッジは1981年の摘発によって事実上解体されたが、そのネットワークや思想的背景が完全に消滅したわけではない。政治と情報、金融とメディアを結ぶ“非公式な結社”という構造は、むしろ形を変えて存続した可能性が高いとされている。

P2の中心人物であったリーチオ・ジェッリは、晩年も政治や宗教、国際問題に関心を持ち続け、インタビューでは「我々の仕事は終わっていない」と語っていた。この言葉は、P2の“後継組織”としてP3の存在をにおわせるものだとして注目された。

また、P2の会員に含まれていた政界・財界人の一部は、摘発後も別の形で影響力を保持し続けていたとされる。P3がこの系譜を受け継ぐネットワークであるとすれば、それは“新たな装いをまとった旧勢力”とも言えるだろう。

P3に関連する報道・動向年表(仮説を含む)

年代出来事・報道内容関連性・解説
1976年イタリア・グランドオリエントがP2の認可を取り消しP2の公式活動は停止するが、地下活動継続の土壌が形成される
1981年P2ロッジの名簿押収。国家的スキャンダルへ発展P2解体の直接的契機。以降、“次世代ロッジ”の可能性が議論される
1982年バンコ・アンブロシアーノ頭取カルヴィ不審死P2との金融的関係が取り沙汰される
2009年政治評論家や調査報道の中で「P3」というワードが初めて公に言及される(非公式)継続する“秘密結社的構造”に関する示唆が見られる
2010年政界スキャンダルに絡み「P3グループ」という名称が国内メディアで散見される(例:ベルルスコーニ政権周辺)非公式ネットワークとしての存在が疑われる
2010年〜2015年エマヌエーレ・フィリベルト王子がテレビ出演を重ね、「王室の再ブランディング」とも受け取られる行動が話題に旧王室とメディア、政界との関係性が注目される
2020年代以降一部の陰謀論系メディア・オルタナティブニュースサイトで「P3ロッジ再編成説」が語られる事実確認には至らず、信憑性は低いが関心は継続中

P3ロッジに関する情報の多くは未確認であり、明確な証拠が示されたわけではない。しかし、かつてP2という実在の組織がイタリア国家の根幹を揺るがした歴史がある以上、P3という名前が浮上すること自体、決して無視できない。

国家と権力の背後に潜む“見えざる構造”を検証する視点は、今後も報道と市民社会にとって重要であり続けるだろう。

オルシーニ家とP3との関係は?

画像引用 wikipedia

オルシーニ家とP3ロッジ“貴族の影”は今も残るのか?

イタリアの旧貴族階級の中でも、とりわけ長い歴史と影響力を誇るのがオルシーニ家である。ローマを拠点に中世から続くこの名門家系は、カトリック教会やローマ教皇庁とも深い関係を持ち、歴史の節目ごとにその名が登場してきた。

近年、一部の研究者や陰謀論者の間で、オルシーニ家とP3ロッジとの関係が取り沙汰されている。表向きには確認されていないものの、P3の成立背景にこの古代貴族家系が関与しているという仮説が存在する。

歴史を通じた権力構造と“新たな組織”

オルシーニ家は、その影響力を政治・宗教・経済のあらゆる領域に及ぼしてきた。複数の教皇や枢機卿を輩出したことでも知られ、教会国家と貴族の境界線を曖昧にしながら、実質的な支配力を発揮していたとされる。

この歴史的背景から、一部では「彼らは新たな権力ネットワークを構築するためにP3ロッジの創設に関与したのではないか」との見解が示されている。目的は、自らの思想と影響力を21世紀の政治・経済構造に適応させ、持続させることだったという。

P3のような“見えざる組織”に貴族家系が関わっているという構図は突飛に聞こえるかもしれない。しかし、歴史的に見れば、貴族の家系が目に見えない形で政治に関与することは、決して珍しいことではなかった。

バチカン誕生と貴族の関与

イタリアと教皇庁との関係において、もう一つ注目すべきなのが1929年のバチカン市国の成立である。この国家創設は、当時のムッソリーニ政権と教皇ピウス11世によるラテラノ条約によって実現した。ムッソリーニ政権はサヴォイア王家の支援を受けていたことから、「バチカン誕生は王政の政治的意図に組み込まれたものであった」と見る向きもある。

この一連の動きにも、オルシーニ家をはじめとする旧貴族勢力が間接的に関与していた可能性は否定できない。教会、貴族、国家――この三者の関係は、表層では断ち切られていても、裏側での接点を完全に排除することは難しい。

バチカンとオルシーニ家――“灰色の教皇”と呼ばれた名門の影響力

バチカンとオルシーニ家の関係は、単なる歴史的な接点を超え、数世紀にわたって継続してきた権力構造の一角とも言える。

“灰色の教皇”の異名を持つオルシーニ家は、中世以降のカトリック教会において極めて重要な役割を担ってきた家系である。実際、オルシーニ家からは複数の教皇や枢機卿が輩出されており、その影響力は教会組織の中枢にまで及んでいた。

財力と血統が動かした教会の方向性

その莫大な財力と政治的ネットワークを背景に、オルシーニ家はバチカンの政策決定に影響を与え、時には方向性を左右する存在となった。特定の教皇の即位における支援、宗教政策への助言、あるいは外交的立場への関与など、表には出ないかたちでの関与が指摘されている。

しかしこの関係は一方通行ではない。バチカン側もまた、オルシーニ家を保護・支持することで、その影響力を政治的にも地理的にも拡張してきた。オルシーニ家が権力を維持・強化できた背景には、バチカンからの公的・非公的な支援があったと考えられている。

このように両者の関係は、**政治と宗教、家系と制度の間に築かれた“互恵的同盟”であったと見ることができる。

P3との関連を示唆する構造

この歴史的関係性は、現在取り沙汰されているP3ロッジとの潜在的な接点を考えるうえでも無視できない。オルシーニ家とバチカンが築いてきた長期的な協力関係を踏まえれば、仮にP3が現代の非公式な権力ネットワークであるとするならば、その背後にある家系や宗教勢力との関連性も、十分に検討に値する。

P3、バチカン、そしてオルシーニ家。この三者の関係性には、公式の記録だけでは見えてこない“もうひとつの構図”が存在している可能性がある。

P2ロッジの終焉――「見えざる権力」の代償

P2ロッジは、国家にとっての潜在的な脅威を事前に察知するための情報収集から、政界における筋書きの策定まで、多岐にわたる活動を展開していたとされている。

水面下では、他の地域や国民が知らぬ間に、政治の主導権をめぐる“権力のゲーム”が繰り広げられていた。

しかし、その構造には終焉が訪れる。
1981年、警察当局による捜査を通じてP2の実態が明らかになると、イタリア社会は大きく揺れた。この暴露は単なる組織の摘発にとどまらず、「戦後最大級のスキャンダル」として国際的な注目を浴びた。

この事件を契機に、イタリア国内では秘密結社、情報機関、政治、そして報道の関係性に対する根本的な見直しが迫られた。P2の崩壊は単なる一過性の事件ではなく、現在に至るまで社会的・政治的な記憶として語り継がれている。

P2ロッジは、現代における「影の政治」の典型として語られる存在であり、国家権力がいかに非公式なチャネルを通じて行使されうるかを示す実例でもある。

その足跡を辿れば、「絶対的権力は絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely)」という格言が、決して抽象的な警句ではないことがよくわかる。

まとめ

■ オルシーニ家とバチカンの関係性

  • 中世から続く貴族家系であり、複数の教皇や枢機卿を輩出。
  • バチカンと互恵的な関係を築き、教会政策や宗教外交に影響を及ぼす存在だった。

■ P2・P3との関係

  • P2ロッジは1970〜80年代にイタリア政界を揺るがせた実在の秘密結社。
  • P3ロッジはその後継組織とも言われ、未確認ながらも政財界・メディアへの影響が疑われている。
  • オルシーニ家はその歴史的背景と財力から、P3との関係が囁かれている。

■ バチカンとファシズム政権

  • バチカン市国の成立はムッソリーニ政権(サヴォイア家の支援を受けた)の下で実現。
  • 政治と宗教が結びついた象徴的な出来事であり、背景には貴族家系の存在が見え隠れする。

■ 現代への示唆

  • P3ロッジや旧貴族家系の関係は未解明だが、国家と権力の“見えない構造”として今なお注目されている。
  • 歴史を紐解くことは、現代の政治的構造や情報操作の本質を見抜く手がかりとなる。
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