前記事の続編

イタリアを支配した影のネットワークとその崩壊

なぜ今、P2ロッジなのか?
1981年、イタリア警察が行った家庭捜索で発見された一万点を超える文書の中に、国家中枢を覆う暗い真実が潜んでいた。まるで政治スリラーの脚本のような現実が、突如として国民の前に晒された――それが「P2ロッジ(Propaganda Due)」である。
2020年代に入った現在でも、このロッジの残影と手法は世界中の政治と権力の闇を照らす鏡であり、我々が民主主義社会に生きているという前提への警鐘ともいえる。
1.P2ロッジの起源:表と裏の顔を持つ秘密結社
P2はもともと、フリーメーソン大東社に正式に登録されたロッジ(支部)であり、その名目上の目的は哲学的・社会的探求を通じた人間的向上だった。
だが1970年代後半、リーチオ・ジェッリという謎めいた人物が台頭すると、ロッジは急速に変質する。P2は政治、軍事、メディア、金融など、あらゆる国家権力の中枢に食い込み、民主主義の裏側で別の“指令系統”を築いた。
その目的は「共産主義からイタリアを守る」という名目を掲げつつも、実態は権力の掌握と世論操作による支配構造の確立だった。
2.構成員とそのネットワーク:誰がP2を構成していたのか?
1981年に押収された名簿には、953名ものメンバーが記されていた。そこには以下のような著名人が含まれていた。
- アルナルド・フォルラーニ(当時の首相候補)
- 軍参謀本部長
- 国家情報機関SISMI幹部
- メディア王シルヴィオ・ベルルスコーニ
- 銀行家ロベルト・カルヴィ(後にバンコ・アンブロシアーノ事件で不審死)
The Skirret: Propaganda Due: The Italian Crisis
このことからP2は、政財界のエリートを糸で繋いだ“もう一つの国家”として機能していたと見る向きも強い。
3.具体的な活動と事件への関与
P2ロッジの活動は、次のような具体的事件とも関係が取り沙汰されている。
- アルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件(1978):極左のテロ組織「赤い旅団」による犯行だが、その捜査情報や対応に不自然な遅延があった。
- バンコ・アンブロシアーノ事件(1982):バチカン銀行とつながる巨大資金の不正流用と、P2メンバーであるロベルト・カルヴィの変死。
- イタリア全土にわたるメディア操作と選挙介入:世論誘導と情報操作によって政権の交代や政策転換を陰から操った。
The Washington Post: Scandal Erupts Over Italian Masonic Lodge
さらに、秘密裏に作成されたとされる“国家非常計画”には、共産主義台頭に備えたクーデター計画すら含まれていたという証言もある。
4.発覚と崩壊:1981年の名簿公開がもたらした衝撃
警察がジェッリ邸で発見したP2の機密書類には、政治家、軍人、ジャーナリスト、銀行家らの名が列挙されていた。
CIA公開文書: Italy’s “P-2” Masonic Lodge Scandal–Its Likely Implications
この情報はメディアによって一気に拡散され、国民の信頼は失墜。首相をはじめとした高官の辞任が相次ぎ、情報機関は再編成され、P2はフリーメーソンからも除名された。
名簿公開によって明らかになったのは、単なる秘密結社の存在ではなく、民主的制度を外側からではなく“内部から”破壊する手法が実在していたという恐るべき事実だった。
5.P2ロッジの残した影と制度改革の行方
P2事件後、イタリア政府は以下のような改革を推し進めた。
- 公職者による秘密結社への参加の禁止
- 議会の透明化と倫理法の整備
- 情報機関の統合と監視体制の強化
しかしながら、P2の思想や人脈は完全に消えたわけではなかった。後に政界へ登場するベルルスコーニや一部メディア帝国の形成過程には、P2の遺産とのつながりを指摘する声もある。
6.図解:P2ロッジの人脈ネットワーク(簡易版)
[リーチオ・ジェッリ]
↓
[軍部] ── SISMI ── [諜報機関]
↓ ↓
[大手メディア]──[ベルルスコーニ(当時メディア実業家)]
↓ ↓
[銀行(アンブロシアーノ)]──[バチカン銀行]
P2は過去ではなく、警告である
P2ロッジの崩壊は、国家における秘密ネットワークがいかに危険で、民主主義を脅かすかを明示した歴史的事件だった。
しかし現代においても、SNSのアルゴリズムや資本力を背景にした“見えない支配”は世界各地で再現されつつある。
P2の教訓とはすなわち、「情報」と「人脈」と「秘密」が結びついたとき、いかなる体制も内部から腐敗し得るという事実である。
次回の後編では、ベルルスコーニ時代以降のイタリア政界がP2の遺産をどう引き継ぎ、どう変質していったのかを詳しく追う。
